2025 年10⽉末、クアラルンプールでASEAN関連⾸脳会議が開催された。今般の⼀連の会議では、東ティモールのASEAN正式加盟、ASEAN中国⾃由貿易協定の改定、⾼市早苗総理の外交デビューなど、話題に事⽋かない会議となった。なかでも⽿⽬を集めたのは、ドナルド・トランプ⽶⼤統領が⽴ち会ったタイ・カンボジア国境紛争に関する共同宣⾔の署名式典であった。
タイとカンボジアは800kmを超える国境で接しており、未画定地域や世界遺産であるプレアヴィヒア寺院周辺地域の帰属をめぐり⻑年対⽴してきた。紛争の原因は植⺠地時代に遡る。当時、カンボジアの宗主国であったフランスとシャム(当時のタイ)は国境線画定の原則に合意したが、フランスが作成した1907年の地図ではその原則から逸脱した境界線が引かれた。この地図の有効性を主張するカンボジアと、これに疑義を唱えるタイの⾒解の不⼀致が争いの根底にある。
今年5⽉、国境係争地において両軍による⼩規模な銃撃戦が勃発したことを契機に軍事的緊張が⾼まり、7⽉にはロケット攻撃や空爆といった交戦に発展した。同⽉下旬、今年のASEAN議⻑国であるマレーシアと共にアメリカと中国が仲介に⼊り、両国は即時停戦に合意した。しかし、合意後も銃撃戦が散発、停戦合意違反を相互に主張し合う⾮難合戦となり不安定な状態が続いていた。
ノーベル平和賞受賞への強い意欲を⽰しているトランプ⼤統領が、8年ぶりに東南アジアを訪問した主な⽬的は、この署名式典の⽴ち合いであった。「8カ⽉で8つの戦争を終結させた」と述べた同⼤統領は、共同宣⾔を「クアラルンプール和平協定」と呼び、「平和の⼤統領(President of Peace)」としての実績を⾃画⾃賛した。
果たして、トランプ⼤統領はタイ・カンボジア間に平和をもたらしたのだろうか。
合意⽂書の名称は「クアラルンプールにおける会談の成果に関するカンボジア王国およびタイ王国両⾸相による共同宣⾔」であり、和平協定の⽂字はない。また、その内容は7⽉の停戦合意遵守の再確認と「停戦の完全かつ効果的な実施」が中核である。停戦実施に向け、両当事国は国境地帯からの重⽕器撤去、地雷除去、捕虜解放、紛争拡⼤や緊張激化に繋がる挑発・敵対⾏為の停⽌等に合意した。⼀⽅、未画定国境地域に関する合意は⾒られず、根本的な対⽴の解消には⾄っていない。したがって、10⽉末の合意は和平協定とは⾔い難く、いわば拡⼤版停戦合意にとどまろう。実際、タイのシハサック外相は和平協定との理解を退け、共同宣⾔であることを強調した。
では、トランプ⼤統領の貢献は何もなかったのかといえば、必ずしもそうではない。7⽉の停戦合意の際、第三者の関与に消極的なタイはマレーシアと中国からの仲介の申し出に難⾊を⽰していた。しかし、トランプ⼤統領が戦闘をやめない限り関税交渉を⾏わないと圧⼒をかけたことで、タイは交渉の席についたという。今回の共同宣⾔署名においても、関税交渉を梃⼦に式典に繋げた。
トランプ⼤統領の圧⼒は7⽉停戦合意の契機となったが、停戦の具体的措置はその後の当事国同⼠の交渉によって進められた。また、履⾏状況を監視するASEAN監視団はマレーシアが主導している。⼤局的にみれば、トランプ⼤統領の貢献は限定的であろう。
トランプ劇場となった式典に中国の姿はなかった。トランプ⼤統領の要請であったとの情報もある。この紛争は⽶中協⼒が期待できる数少ない問題の1つであり、⽶中の政争の具となってはならない。和平への道のりは困難が予想されるため、当事国の歩み寄りはもとより、仲介役を務めたASEANメンバーや⽶中の後ろ盾が肝要である。