The World Commentary No.95

誰のためのアメリカか―DEIの行方

アメリカ社会における DEI(Diversity, Equity, & Inclusion:多様性・公平性・包摂性)は、企業・大学・行政機関などで幅広く推進されてきた。DEI は、異なる人種、性別、性的志向、宗教、障がいの有無など、多様な背景を持つ人々が、社会のあらゆる場面で平等な機会を持ち、尊重され、排除されることなく参加できることを目指すものである。特に 2020 年、白人警官による黒人男性ジョージ・フロイド氏の死亡事件をきっかけに全米で広がったブラック・ライブズ・マター(BLM:黒人の命も大切だ)運動は、人種的不平等や警察暴力に対する抗議の象徴となり、社会全体に構造的差別の存在を強く意識させた。これを契機に、多くの組織が自らの制度や文化に内在する偏りを見直し、DEI は単なる理念ではなく、社会変革の鍵として広く注目されるようになった。

DEI の発展は、1960 年代の公民権運動に始まり、アファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)を通じて制度化され、次第に個人の意識改革や文化的包摂へと進化してきた。現代では、単なる差別の撤廃にとどまらず、組織のイノベーションや競争力の源泉ともみなされており、多様な視点が創造性や問題解決能力を高めるという点で、経済的合理性も伴っている。

こうした DEI の推進に対して、トランプ大統領は一貫して強い反発を示し、2024 年の選挙戦では「DEI の廃止」を明確な公約として掲げた。就任からわずか半年で、彼は多様性や包摂性を支える制度を次々とやり玉に挙げている。例えば連邦政府機関における DEI プログラムの廃止、軍内部の DEI トレーニングの中止、連邦補助金の交付条件から「多様性確保の取組み」を除外するなどである。大学教育に対する圧力も強まり、ハーバード大学では、「国益に反する情報流出の懸念」を理由に、一部の留学生のビザ更新が拒否され、事実上の追放措置がとられた。また現在、米国政府は特定国の出身者を中心に、留学生ビザの新規審査の差止めや発給の遅延措置を講じており、高等教育機関の国際的な多様性が縮小しつつある。

 これらの政策は、DEI が「行き過ぎた政治的正しさ(ウォーク・イデオロギー(woke ideology))」であり、逆差別やアメリカの伝統的な価値観を破壊しようとするものと捉える保守派の主張と連動し、特に白人の中産階級層を中心に一定の支持を得ている。多様性推進の反発の根底には、自身の地位や文化的優位性が脅かされることへの不安や、国家アイデンティティの再定義を求める動きがあるといえる。

 このように、DEI はアメリカ社会における深い分断を象徴する論点となっている。トランプ大統領のような DEI に対する反対勢力が存在する一方で、DEI の重要性を認識し、その推進を続ける企業や組織も多数存在する。AI やグローバル経済の進展により、多様性への対応力が組織や国家の競争力に直結する時代において、DEI は理想主義にとどまらず、現実的な社会設計の基盤でもある。問われているのは、アメリカ社会が「誰のための社会」なのかをめぐる選択なのである。