今年は難民条約成立70周年、日本の条約加入40周年だが、難民にかかる出来事も多かった。2月のミャンマーのクーデター、8月のアフガンでのタリバン制圧、東京オリンピックでの選手亡命事件などだ。難民をめぐる世界と日本の動きを概観してみよう。
1951年にできた難民条約は、東欧の共産主義国家による「迫害」を恐れて西欧の自由主義国家に逃げる比較的少数の「政治亡命者」を念頭に置いていた。西側諸国は彼らを歓迎した。
しかし、20世紀後半に植民地の独立などで国の数が200近くになり、今世紀になるとアフガニスタンやシリア、ミャンマーなどでは国内紛争が続き、「命への危険」を避けて逃げる「紛争難民」が増えた。現在2600万人になる難民の9割はヨルダン、トルコ、バングラデシュなどに避難し、受け入れ国の負担も大きい。先の見えない避難生活に耐えられず、北側先進国にまで逃げる難民もいるが、彼らは先進国で「脅威」としてみなされ、締め出されるようになった。
このように難民の性格も数も変わってきた中で、「人種・国籍・宗教・社会的集団・政治的意見」という5つの理由による迫害から逃げる人のみを救う難民条約の限界は明らかだ。先進国は、世論の動向を見ながら、難民に準じて救済する「補完的保護」や、特に脆弱な難民を受け入れる第三国定住制度などを導入している。しかし「国家の安全保障」と難民の「人間の安全保障」のバランスを取ることは容易ではない。
日本は1981年に難民条約に加入したが、難民受け入れ数が少ないと批判されてきた。受入数が少ない理由は、日本が紛争国から遠く離れ、言葉も文化も異質な日本に逃げたいと思う難民が少ないこと、現代の難民状況に合わない難民条約の文言を忠実に守る入管庁の難民認定制度、難民問題に無関心な日本社会などにある。
ただ、外国人労働者の本格的受け入れが進む中で、入管庁の難民政策も変わりつつある。「補完的保護」制度の導入やアジア諸国で初の「難民認定ガイドライン」の策定・公開などが例だ。また、ミャンマーでのクーデターの後には在日ミャンマー人3万5千人に在留特別措置が適用され、アフガニスタンでの対日協力者500人についても来日したならば同様な措置が取られる見込みだ(10月20日時点で約300名が来日)。この先、ミャンマーやアフガニスタン出身者を中心に難民認定が増えよう。日本はようやく「難民鎖国」から脱しつつあるのか、世界の流れに逆らうような日本の動きに注目したい。