The World Commentary No.31

ミャンマーの混乱(上)

連日、ミャンマーの惨劇が伝えられている。2021年2月1日、昨年の総選挙の結果を受けた国会が招集された日に軍部によるクーデターは起きた。事実上の指導者であるアウンサンスーチー国家顧問や大統領など選挙で圧勝した国民民主連盟(NLD)の有力者が次々に拘束された。理由は、総選挙の不正。この選挙でNLDは約80%の得票を記録した。不正の確たる証拠は示されていないが、憲法に基づく緊急事態宣言と軍部は説明している。

 多くの民衆の支持を得たNLDが軍部の既得権益や権力に負の影響を及ぼすと判断したことがこの暴挙に至ったと指摘されている。

 長く軍政に苦しんだ民衆の怒りが爆発するのは当然だ。4月中旬の時点で700人を超える人々が軍によって殺害されたといわれるが、それでも抵抗運動は続いている。

 ミャンマーの民主化を求める民衆の戦いは半世紀に及ぶ。1988年にネ・ウィンの社会主義体制を瓦解させ、総選挙まで導いた。スーチー氏が党首であるNLDが圧勝したものの軍部は認めず、スーチー氏の自宅軟禁も始まった。

 当然、欧米を中心に国際社会が経済制裁によって圧力をかけ、ミャンマー経済は疲弊する。民衆の要求も激化し2000年代後半に軍部は民政移管を約束。2010年には総選挙が実施されたが、スーチー氏は自宅軟禁のままで、NLDは選挙をボイコットした。選挙の結果、退役軍

人テインセインが民間人として大統領になったが、真の民主化を求める民衆は黙っていない。2015年の総選挙ではNLD圧勝、軟禁を解かれたスーチー氏も当選して、民主化がほぼ達成され、国際社会の経済制裁は解け経済成長路線が軌道に乗った。2010年代の経済成長率は約7%前後を記録し、東南アジアの平均を超えている。その中での軍部の暴挙である。

 民衆にとってみればようやく成し遂げた民主化を簡単に手放すわけにはいかない。民主化によって民衆が得たのは、自由であるがゆえの自身そして次世代の選択肢の拡大である。未来の選択肢を蔑ろにされた。

 国際社会も早速反応して欧米、国連も非難声明を出した。ただし、これまでと違うのが後ろ盾とされる中国の存在である。欧米に批難されても国連安保理の常任理事国である中国との良好関係の維持で、前回ほどの経済打撃にはならないと軍部は読んでいるのかもしれない。

 憲法によると緊急事態宣言は1年との規定がある。1年も続くのか、ため息が出る。

 スーチー氏も今年6月で77歳になる。