The World Commentary No.15

南アフリカが希求するチームプレー

ラグビー・ワールドカップ日本大会での南アフリカ代表チーム(以下、スプリングボクス)の闘いぶりはめざましく、優勝候補と目されていたイングランドを撃破して、3大会、12年ぶりにその頂点に立った。鉄壁とも称された守備力は、組織されたチームプレーのあらわれであり、観戦する者すべてをうならせた。

 スプリングボクスが初めてワールドカップで優勝したのは、1995年に南アフリカ共和国で開催された第3回大会であった。長く続いてきた人種隔離(アパルトヘイト)政策を放棄して1994年に全人種が参加する総選挙を実施した同国で、故ネルソン・マンデラ大統領を首班とする政権が誕生した翌年のことである。マンデラ政権が担う最初の国際的スポーツ・イベントとして、ワールドカップは「新生」南アフリカの試金石でもあった。この大会の決勝に臨席していた同大統領が、その喜びをダンスであらわした姿はその後も語り草となっている。

 しかし、南アフリカ社会の内実と同様、当時のスプリングボクスの陣容もまた全人種参加とはかけ離れていた。白人以外の代表メンバーは「カラード」(混血)の選手がただ一人だけで出場機会も限られていたことから「新生」を感じさせるものに乏しかった。これに対して今大会ではフォワード、バックスを問わず黒人有力選手が居並び、スプリングボクス史上初めてとなる黒人主将シヤ・コリシが指名されていた。優勝杯「エリス・カップ」を掲げた彼の胸中に

 

主将の責任を果たした安堵以上の何かがあったとすれば、それは故マンデラ大統領の心情にも重なるものかもしれない。

 南アフリカのみならずアフリカの代表チームには、例外なく人種問題が影を落としてきた。今回6回目の出場を果たしたナミビア、かつて2度代表となったジンバブエも同様であった。スプリングボクスは世界トップクラスの実力を有しながら、制裁として国際試合を許容されず、1987年に始まったワールドカップにも第1回、第2回と続けて出場できなかった。南アフリカにとってのラグビー・ワールドカップとはアパルトヘイト撤廃を国内外に示す機会でもあった。

優勝チームへのインタビューでコリシ主将は「私たちの国には本当に多くの問題がある」と語り始めた。「(今回のスプリングボクスのように)一つになれたなら、何であっても成し遂げられる」という締め括りの言葉は、南アフリカとその人びとへのメッセージであると同時に、世界の人びとへのそれでもあった。