2026年6月の仏エビアン・サミットは、新たな国際秩序を構想する会議ではなく、多極化する世界において、西側諸国が最低限の結束を維持できていることを確認する会議であった。包括的な共同声明の発表を模索することは当初から諦め、多数の成果文書や個別合意の積み重ねにより、G7としての成果を国際社会に提示するというマクロン流の議長国運営が功を奏したと評価できるが、G7がもはや国際社会を単独で主導するグループにはなり得ないという国際環境の現実を示すものでもあった。
G7は、かつては世界を政治・経済の両面で牽引するグループであったが、今や世界経済の重心は中国、インド、ASEAN、中東へと分散し、国際社会は著しく多極化している。現在の国際政治は、G7とそれ以外という単純な構図ではなくなり、また、グローバルサウスと呼ばれる諸国も、欧米にも中露にも全面的には与せず、自らの利益に従って行動する。G7の課題は世界を主導することではなく、こうした国々を巻き込みながら国際秩序の維持を図ることへと変化している。気候変動、AI、サイバー空間、エネルギー安全保障、感染症、移民・難民など、課題もまた多様化した。
そうした中で最も切実な課題を抱えていたのは欧州であった。イラン空爆に伴う中東情勢の緊迫化への対応は当然のことながら重要である。しかし、欧州にとって最大の安全保障上の脅威は依然としてロシアであり、ウクライナ戦争の帰趨である。そのため、欧州諸国はトランプ政権との決定的な対立を避けなければならなかった。米国との友好関係を維持しつつ、米国に過度に依存しない防衛能力の強化や戦略的自立の必要性を欧州は認識してはいるが、対露抑止では米国の軍事的・政治的関与をまだ必要としているからである。
今回のサミットで見られたのは、トランプを説得する外交ではなく、トランプを接遇する外交だった。中東情勢での米国の役割を評価し、成果を認める一方で、ウクライナ問題において、対露抑止とウクライナ支援の枠組みに米国をつなぎ止めることが欧州にとって最重要課題であった。そこには、欧米分断を回避し、まず対米関係を維持するという現実主義がある。
こうした観点から見れば、エビアン・サミットの最大の成果は、何らかの新しい具体的な政策合意を得たことではなく、欧州諸国が自分たちの結束を維持し、対露戦略を継続するための時間を確保したことにある。ロシアとの力関係も、ウクライナ戦争の戦況も、中東情勢も、サミット後に大きな変化はない。しかし、米欧の分裂もまた回避された。その意味で、このサミットは問題解決の場ではなく、危機管理の場であったと言えよう。
エビアンで確認されたのは、西側の脆さである。しかし、その脆さを認識した上で、米国と欧州諸国が最低限の共通認識を維持するための政治的枠組みとしてG7がなお機能していることを示した意義は大きい。欧州がトランプを接遇したのは迎合のためではない。欧州がまだ米国を必要としている現実に向き合ったからである。 日本もそうした欧州側の危機意識を支持したが、日本にとっては、ウクライナ問題より、アジア太平洋、中国、経済安全保障の方が重要であり、その点で欧州と温度差があった点は否めない。