The World Commentary No.74

日・ASEAN友好協力50周年

2023年に対ASEAN関係50周年を迎えた日本政府は12月、ミャンマーを除くASEAN 9加盟国とオブザーバーの東ティモールを東京に招き、特別首脳会議を催した。今般、50年という節目を迎えたが、その歴史は常に順風満帆だったわけではない。

1973年、東南アジアの天然ゴム産業を圧迫する日本企業の合成ゴム輸出に対応すべく、ASEANの要請により日・ASEAN合成ゴムフォーラムが設立された。これが日・ASEAN関係のスタートとなった。同フォーラムが設置されながらも、日本の急速な東南アジア進出は経済侵略と捉えられ、翌1974年の田中角栄首相の東南アジア歴訪時にはジャカルタやバンコクなど各地で激しい反日デモに見舞われた。日本の経済進出は脅威と見なされたが、ASEAN諸国が経済発展を追求していたことや、日本の比較優位が経済力にあったことから、日・ASEAN協力の基軸は経済に置かれた。

冷戦終結後は、1992年のカンボジアPKO派遣を皮切りに、ASEAN諸国との安全保障協力も進展した。海賊、テロリズム、サイバーセキュリティ等におけるASEAN諸国の能力構築支援に重点を置く日本は現在、政府安全保障能力強化支援(OSA)を通じて救難艇や監視レーダーを含む防衛装備品を供与する。さらに、2000年代にはアニメやマンガなどポップカルチャー外交にも力を入れ、東南アジアにおける日本文化に関する情報発信の拠点としてジャパン・クリエイティブ・センターをシンガポールに設立した。今日、日本は域外国のなかでASEANから最も厚い信頼を寄せられる国となった。

今般採択された成果文書から、従来の日・ASEAN協力の基本方針、すなわち安全保障、経済、社会、文化分野での包括的パートナーシップの拡大と深化が踏襲されたことが見てとれる。一方、たとえば日・ASEAN40、45周年の際の成果文書と比して異なる点の1つは、協力分野の記載の順序である。40、45周年の際には、安全保障(平和と安定のためのパートナー)、経済(繁栄のためのパートナー)、社会文化(より良い暮らしのためのパートナー、心と心のパートナー)の順序であったが、50周年の今回は文化・人的交流(世代を超えた心と心のパートナー)、経済・社会(未来の経済・社会を共創するパートナー)、安全保障(平和と安定のためのパートナー)となった。

順序変更が政策優先度の変更を意味するとは限らないが、日本に問われているのは今後のASEAN外交の座標軸である。米中両大国はそれぞれASEANとの関係を強化させており、日本は独自の存在感と役割を見出すのに苦慮している。日本の強みである信頼を外交に存分に発揮させるために何を優先するべきか。日本に課された宿題である。