いまから100年を遡る1921年7月、上海のフランス租界の一角で、当時まだ20代であった毛沢東(1949年の中華人民共和国成立時の最高指導者、「建国の父」)を含む13人の革命家が密かに集まり、中国共産党は誕生した。
2021年7月1日、その共産党は結党100周年を記念して、盛大な祝賀式典を北京の天安門広場で開催した。天安門楼上において、広場正面に掲げられている毛沢東の肖像画と同じ色調であるグレーの「中山服」(中国の礼服)を身にまとった習近平党総書記(国家主席)が1時間余りの長い演説を行った。会場ではメディアを総動員する態勢がとられ、習氏への個人崇拝も感じられるような演出がなされた。
習氏は式典での演説全体にわたって、予想にたがわず、「中華民族の偉大な復興」という国民の愛国的な感情や心の琴線にふれる言葉を何度も繰り返した。世代は交代しても、誇り高い中国人の多くは、1840年のアヘン戦争に始まり新中国建国に至る自国が歩んだ「屈辱の近代」に対する複雑な思いをいまでも共有している。「台頭する中国」がいくら喧伝されても、被害者としての「歴史の記憶」は人々の心から簡単には拭い去ることはできない。
演説の冒頭部分では、習氏は自身の実績について「『小康社会』(ややゆとりのある社会)を全面的に築き上げ、絶対的な貧困問題を歴史的に解決」したと強調した。小康社会の実現は、鄧小平が推進してきた「改革開放」政策の重要な目標の一つであり、実態は別にして「脱貧困」の達成は大きな功績といえる。
また、演説では、粛清を含む苛烈で悲惨な共産党の歴史的歩みにかんして、「私たちの党は試練と苦難があった」と触れるにとどめた。膨大な犠牲者をもたらした政治運動である大躍進や文化大革命、そして学生や市民による民主化要求を軍隊を用いて武力鎮圧した天安門事件についても一切言及されなかった。
では、一体どうして中国では共産党による一党支配が持続しているのだろうか。なぜそれは終わらないのであろうか。約10年間続いた文化大革命は、後に共産党自身が「内乱」と評価するほど中国を混乱の極みに陥れたが、共産党による一党支配体制は崩れなかった。上記の問いへの暫定的な答えとして、以下の三点ほどが指摘できるのではないかと筆者は考える。
まず、新中国の建国という歴史的な功績である。周知のように、アヘン戦争以降、中国は列強により半植民地化され分裂の危機にあった。その独立と統一の課題を達成した共産党への国民の肯定的評価は、揺らいではいない。次に、1980年代の「改革開放」政策に始まる著しい経済成長の成果および国際的地位の向上である。人々の生活水準を引き上げ、民族的な自尊心を高めたことは共産党への信頼感に繋がっている。最後に、力による管理、換言すれば「恐怖による統治」である。近年のネット管理、香港での「国安法」施行、ウイグル族やモンゴル族に漢族への同化を求める政策もその例証となる。
ただし、海外に旅行や留学をする国民も増え、共産党の歴史観への相対化も進む。経済の高度成長も生産年齢人口が減少に転じて不可能となった。一党支配は盤石か否か注視してみたい。